Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

釈尊の修行時代の背景

釈尊が修行する前の人々は、バラモン教と呼ばれる教えを信仰する人々が多かったようです。バラモン教徒たちは、若いころはバラモン教の教理を学び、老年期になると、家を捨てて乞食となって修行したそうです。老体に鞭打って、大変だったでしょうに・・・。そしてそのまま外で一生を終えたそうな・・・。

やがて「沙門」と呼ばれる新しい修行者がたくさん出てきます。沙門たちは、若いころから世俗の仕事や家族、家を捨てて、乞食となったそうです。そして森などで瞑想・苦行などを行い、人生の心理を得ようとする人々だったようです。これもなかなかアウトローですね。

 

釈尊も、途中で王子の地位をかなぐり捨て、沙門の一人として、当時の修行者たちとコースをたどりながら、激しい修行に打ち込み、悟りを開くことに成功しました。こうした修行をする人はたくさんいたわけですね。そもそも、そうした生活がどうしてできたかというと、どうもわりと豊かな時代で、食糧がたくさんあったそうです。たくさんあったために、結構捨てるものが多かったので、乞食行ができる人がたくさんいたみたいです。いわば、特殊な時代であったといえるでしょう。そういった特殊な時代があったからこそ、仏教が誕生できたのです。あと、ジャイナ教も。

釈尊が天才であったことは間違いないにしても、王子様のままであったら、修行することもできず、悟りも開けず凡庸な王のまま生涯を終えていたのではないでしょうか。環境っていうのは、すごく大事です。

出家した修行者というのは、基本仕事してませんから、日常すべてを修行に使えるわけですね。(その代わり食べ物が得られなくなれば、餓死しますから、そういった覚悟はしていたのだと思いますが。)

ここのところは、古代ギリシアも同じだと思います。

プラトンアリストテレスなど様々な哲学者が古代ギリシアで誕生しましたが、どうも日々の労働は奴隷にまかせっぱなしだった模様です。だからこそ、いろんな思索にふける時間があり、古代哲学を発展させることができたのです。生活に必要な労働を、ほかのものに任せて、自分はひたすら好きなことをする・・・物質的な豊かさはもちろん現代のと比べ物にならないとしても、日々のお勤めがないというのは、なんとも贅沢なことです。

世界的思想が生まれるには、どうしても、こうした特殊な時代の特殊な環境が必要だったのだと思います。

偉大な思想を創造するためには、たっぷり時間が必要ですから、どうしても暇な状態を作り出さないといけませんね。