仏教・宗教
私は原始仏教に興味があるのですが、その理由は「欲望を捨てさる生き方」に魅力を感じたからです。 釈尊は、この世に生まれ、生きていくこと自体を苦しみであると説きます。 そして、釈尊は欲望をすっぱりと捨てることで、安穏の境地が訪れると説きます。 全…
仕事始めの日が近づいています。 うーん、プレッシャーだ。正直気が重い。 こんなとき、いつもだったら筋トレやジョギングをして気持ちをすっきりさせることができるんだけど・・・。 病み上がりなので、それはできません。無理すると再び体調不良になりそう…
ゾンビ映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』観ました。 いやー面白かった。本当に。 アメリカかと思ったら、イギリス産とのこと。 古典的名作みたいで、けっこう評価高いみたいです。 古い作品かな?と最初思ってたんですけど、「鉄拳2」とか作中にでてきた…
ここ3日くらい、仕事のストレス、恋愛のストレスなどから胃腸炎を発症してしまい、 なんとも陰惨な気持ちで年末を迎えることとなりました。 胃腸の痛みが尋常ではなく、救急外来へ行き、薬を処方してもらいました。それにしても、日本は医療の面では本当に恵…
釈尊の悟りに苦行が関係しているのではないかと考えていました。そこで、頭陀行というキーワードに着目しました。頭陀行とは、原始仏教における修行・生活規定について具体的に記されたものです。けっこういろいろな変遷を経ているそうですが、だいたい次の…
釈尊が苦行を捨て、菩提樹で瞑想することで、悟りを開く。いわゆる中道を歩んだことで釈尊は真理を体得したということは、良く知られており、常識化しております。 しかしながら、そういった釈尊の生涯を記した仏伝というものは、そもそも釈尊のありのままの…
一般的に、「ブッダ(=目覚めた人)」といえば、ほかならぬ釈尊(ゴータマ・シッダールタ)のみであるということになってます。 しかし、釈尊の直弟子であるサーリプッタやマハーカッサパなども、ジャイナ教のかなり古い経典ではブッダであると記されている…
ある本で、仏教の教えに「四諦の法門」があるが、何がすごいのかわからないと書いていた学者の方がいました。 「四諦の法門」は、確かに、シンプルな教えであります。 苦諦・・・人生が苦であること 集諦・・・苦の原因が貪欲であるとつきとめること 滅諦・…
原始仏教と苦行の関係について、前回の続きを勝手に書いていきます。 全部独断と思いつきなので、学術的な根拠などはまったくありません。 古代インドにおいての苦行は、身体的な苦痛という大きな「刺激」をわざと自分へ与えることで、心をむりやり清浄にす…
なぜか原始仏教と苦行の関係について、非常にこだわりがありまして、いろいろと考えました。・・。 別に苦行したことがあるわけでもなんでもないのですが・・・。 ネットなんかでは、釈尊は苦行を放棄した、捨て去ったみたいな文章があまりに多い気がします…
仕事があまりにも忙しすぎて、最近ほとんど仏典を読む暇がありません。 前にも同じようなことを書きましたが、仏典は忙しい現代人が効率的に読めるようにつくられていません。 現代人が読みやすい本といえば新書。 面白そうなタイトルにつられて、つい手を伸…
仏典を読んでいると、古代インド人の感覚にはついていけないと感じます。おそらく私だけでなく、多くの人は同じことを感じるのではないでしょうか。 異常なくらいの繰り返しの多いフレーズが続きます。中村先生がおっしゃるように「繰り返すことを楽しんでい…
無常・・・物事は常に変化し続けている 無我・・・「我」はない 縁起・・・すべてのものは関係しあっている ちょっと興味を持っている人なら、仏教用語を知っている人は多いと思います。 こうした用語はなかなか頭では理解しづらい。 仏教の場合、そこに必ず…
世界史の参考書とか用語集なんかには、 上座部仏教→自らの悟りを目指す 大乗仏教→自他の幸せを目指す みたいな書き方がされることが多いです。 一般的に、上座部仏教と大乗仏教との違いは、このような説明です。 実際のところは、上座部仏教徒などがよりどこ…
釈尊の生涯を記したものを仏伝といいます。 仏伝にも時代によって様々な種類があり、内容も微妙に違っているようです。 私は中学生時代に手塚おさむの『ブッダ』を読んだことがあり、釈尊の生涯のだいたいのイメージをつかむことができました。 おそらくこの…
古代インドで、仏教に匹敵する大きな宗教が、ジャイナ教だったといわれています。 ジャイナ教の修行では苦行が主だったようです。 仏典では、苦行が賛美される記述と、否定する記述があります。 当初は苦行が賛美されていたが、年数がたつにつれ、苦行に否定…
日本は翻訳大国だときいたことがありますが、仏典の日本語訳を読めるのは、本当にありがたいことだと感じています。パーリ語やサンスクリット語から読むのは不可能ですからね。 さて、原始仏教に興味がある私は、とりあえず原始仏典の第2巻(長部経典Ⅱ)を購…
『スッタニパータ』では苦行を行う釈尊に対し、悪魔がそれをやめるよう誘惑するシーンがあります。第3章の中です。岩波文庫では「二 つとめはげむこと」講談社文庫のほうは「第二章 奮闘」という名前で紹介されている話です。 非常に興味深いストーリーです…
瞑想を実践すると、何もしなくても穏やかな快楽が得られます。 私たちは衝動買いや、ドカ食いなど、ついつい刺激の強いことを行ってしまうわけですが、これは渇愛への深い扉を開くのと同じこと。終わりがなさそうです。 瞑想によって得られる快楽は、刺激の…
最近、仏教をきちんと学ぶには、かなりの努力をしないといけない、ということがわかってきました。 もちろん、仏教概説書は世にごまんと売れておりますので、なんとなく、仏教とはどんなものかを学びたいときはそれらの本を読めばいいのです。 しかし、それ…
マラソンやジョギングで、ランナーが苦しみながら走っているうちに、ある一点を超えると、苦しみが快感に変わって、とても気持ちよく走ることができるようになる現象を「ランナーズハイ」と言ったりします。 科学的に立証されたものなのかどうかよくわからな…
『スッタニパータ』を読んで、何か面白いことを取り上げようと思いましたが、まっとうなことが書かれすぎていて、なかなか特筆すべきことが見当たりません。 釈尊は繰り返し、繰り返し、とにかく欲や執着を捨てることの大切さを説きます。 とにかく倫理的な…
いろんな資料から推察するに、なんとなく、苦行は原始仏教においてかなり大切な要素だったのではないかと感じています。その一方で苦行に関する否定的な記述も気になります。 なぜ原始仏教では苦行における矛盾した態度があるのだろうか? 自分なりに稚拙な…
釈尊は出家してからは、瞑想修行をして、その後苦行を始めました。その後苦行の無意味さに気づき、やがて菩提樹の下で悟りを開くことになります。 一般的には、釈尊の生涯はこのようなかたちで伝えられています。 このことから、仏教は苦行に対し否定的であ…
『スッタニパータ』のといえば、中村元先生というイメージでしたが、2015年に講談社学術文庫から出た『スッタニパータ』は、荒牧典俊先生・本庄良文先生・榎本文雄先生の3名の共訳となっております。けっこう最近です。中村元先生とはまた違うニュアンスを楽…
『スッタニパータ』など読みますと、原始仏教の教えは平和主義で、無益な争いは排除していく方針であることがわかります。基本的には慎み深く、謙虚に暮らしていくことを是としており、とくに喧嘩をしたり、粗暴な言葉づかいをすることは厳しく戒められてい…
人生において読める本の数は限られております。 それならば、やはり質の高い、時を超えて受け継がれているものを読みたいものです。 アメリカの小説だったら、やっぱり『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などですかね。 経済だったらマルクスの『資本論』です…
スッタニパータが数ある経典の中で、最も古いものであることは有名ですが、その中でも、特に四章が古いようです。つまりは、初期の仏教の、さらに初期を知ることができそうです。というわけで、四章を集中的に読んでみました。 いつもどおり、中村元先生の訳…
釈尊が修行する前の人々は、バラモン教と呼ばれる教えを信仰する人々が多かったようです。バラモン教徒たちは、若いころはバラモン教の教理を学び、老年期になると、家を捨てて乞食となって修行したそうです。老体に鞭打って、大変だったでしょうに・・・。…
素人ながら、なんとも仰々しいタイトルをつけてしまいました。 原始仏教に関して、素人なりに、いろいろな本をざっくりと読んでみた感想ですが、とにかくいろんな方がいろんな研究・修行をされていて、本当にすごいと思います。それぞれの方がいろんな形で原…