Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

原始仏教とストア派哲学

 ここ3日くらい、仕事のストレス、恋愛のストレスなどから胃腸炎を発症してしまい、

 なんとも陰惨な気持ちで年末を迎えることとなりました。

胃腸の痛みが尋常ではなく、救急外来へ行き、薬を処方してもらいました。それにしても、日本は医療の面では本当に恵まれていると思います。まあ、別に海外で暮らしたことがあるわけではないのですが、アメリカ・イギリスなどの医療の話をきいてもあまりよい話をききません。日本はたくさん病院があり、レベルの高い治療を受けられるので、助かりました。

 

薬のおかげで、なんとか体調はよくなってきて、ホッとしたところです。

やることがなくなったところで、今度は片思いの人とやりとりしてるラインが気になるようになってしまい、意識が今度はそっちへ向いてしまい、本当に参りました。彼女のほうはライン返すひまもないくらい充実している様子でありまして、友達と忘年会もいくことができず、年末寝込んでいる自分自身に引け目とコンプレックスを感じまくってました。たかがラインひとつで、いやー恋愛ってこんなに大変なものなんですねーー。気軽にくっついたり離れたりしているようにみえていた世の男女はいったいどんな修羅場をくぐっているのか・・・・。想像つかないです。

あまりにつらいので、ネットで恋愛カウンセリングを見つけて、それを利用したりしてました。確かに参考になって、いろいろ聞いてもらえたのですが、何時間も使ってしまい、料金を見てびっくり・・4万近くが消し飛びました・・・。油断していた・・・。もう一人で勝手にボコボコにされていました。

さて、少ーーしだけ元気になってきましたが、瞑想も手につかず、運動もできないしということで、こんなことではいかんということで読書でもしてみました。

『生の短さについて』(岩波文庫)というローマの哲学者セネカが書いた本の「心の平静について」という章を読みました。

セネカはローマの哲学者で、BC1~C1くらいの人で、暴君ネロの家庭教師をしたことで有名です。

大病を患い、そしてカリギュラやネロのような悪名高い皇帝と渡り合い、処刑されかけたり、追放されたりと、かなり波乱万丈な人生を歩んだ方です。

それだけに、非常に重みのある言葉が多かったように感じます。

「心の平静について」は、タイトルのとおり「心の平静」を保つためにはどうすればよいかが記してあります。

日常をなんとか過ごしながらも、他人と比較してコンプレックスを感じたり、自分の無力感に愕然としたり、思い通りにいかなくてイラついたり、といったことはみんな感じるものだと思います。そうしたモヤモヤに対する心構えを説いたものだと私なりに解釈しました。

セネカの提案は

・人生には何か起きるものだと受け入れる、想定の範囲に入れておく

・目的の定まらない無駄なことはしない 余計な仕事をしない

・人にどう見られるかは気にせず、ありのままの飾らない自分でいるべし

・人と過ごすこと、一人で内省することの2つを大事にするべし

・心をずっと緊張させるのではなく、適度にリラックスさせるべし

・贅沢せずに、しかも富に執着しない

などなど、たくさんのアドバイスがありました。すばらしい。

心の平静を保てる人は、セネカによれば「賢者」だそうです。

「賢者」は人生思い通りにいかないことをあらかじめ受け入れ、何かあっても慌てふためかないようにする。そして、最終的には、死さえも恐れずにいる。

原始仏教でも、修行者たちが目指しているのは心を常に平静に保った「ブッダ」ですので、似ているな、と思いました。

思想自体も原始仏教に非常に通じるものがあります。

・人生には何か起きるものだと受け入れる、想定の範囲に入れておく

→ 諸行無常 一切皆苦といった思想と通じるものがあります。人生思い通りにいくものではないということをあらかじめ腹に据えておくことで、何がおきてもあわてずに受け入れることができるということですね。

・目的の定まらない無駄なことはしない 余計な仕事をしない

→ 原始仏教はそもそも出家主義なので、日常のせわしないことから解放されてから修行します。在家修行の場合でも仕事にとらわれすぎるのはもちろんよくありません。

・人と過ごすこと、一人で内省することの2つを大事にするべし

→ 原始仏教でも、一人で修行しなさいという教えと同時に、よい仲間をつくるすすめがあります。

・心をずっと緊張させるのではなく、適度にリラックスさせるべし

→ 中道思想 原始仏教のさらに原始は苦行主義でしたが、苦行に偏りすぎない修行法が後世広まっていきます。

・贅沢せずに、しかも富に執着しない

→ これは言うまでもないですね。原始仏教では富を積極的に追い求めることは推奨されているはずがありません。

 

原始仏教は完全に修行法があったようです。セネカストア派の哲学者でして、wikiなど見ますとストア派にも原始仏教と似たような修行法(?)があった模様。

 

古代ギリシア・ローマと原始仏教ですが、比較していくとやっぱり面白いなと思います。

セネカは最後は暴君ネロに自殺を命じられて死ぬという悲劇の人ですが、彼の言葉はたくさんの人の指針となったことでしょう。

人生何があるかわからない。

思えば私もしがない雇われ人です。

過重労働・サービス残業パワハラ・理不尽な上司など起きうるのが当たり前です。

恋愛ではフラれるのが当たり前です。

思えば、そういった事態にひとつひとつ驚いていた自分がいました。

怖気づいていた自分がいました。

しかし、時空を超えたセネカの言葉にハッとさせられました。

何かあるのが当たり前なんですよね。

今回胃腸炎になったこともそう。

予想だにしませんでした。

そういった理不尽にいちいちめくじらたてずに、

ある時はカウンターパンチをくらわせ、あるときは軽く受け流す人間になっていきたいと思った次第。

今後も思想の勉強や、筋トレ・瞑想などで、少しでも心身を鍛えていきたいと思います。

というわけで、今年の記事はこれで最後です。

読んでいただいた方は、本当に、ありがとうございました。

来年はもう少し勉強していきたいと思います。

よろしくお願いいたします。