Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

原始仏教で大切なこと 思想と実践

素人ながら、なんとも仰々しいタイトルをつけてしまいました。

原始仏教に関して、素人なりに、いろいろな本をざっくりと読んでみた感想ですが、とにかくいろんな方がいろんな研究・修行をされていて、本当にすごいと思います。それぞれの方がいろんな形で原始仏教の教理を応用しておられます。

そんな中でも、それぞれの方々の主張の相違点もあるのですが、ほぼ共通しておられる基本的な修行法があります。「呼吸の観察」ですね。呼吸を通して、自分の心の動きに敏感になる、客観視する、というものです。

とにかく息を吸っているときは、「吸っている」と感じる。息を吐いているときは「吐いている」と感じる。そして、いろんな考え事が出てきても、受け流すようにするというか、相手にしない。とにかく呼吸に集中して、とらわれないようにする。こういった修行が、定番ですね。それぞれの指導者によって細かい違いはありますが。

空手でいうと、正拳突きにあたるのではないでしょうか。

実は、気ぜわしく、なおかつ誘惑の多い現代ではこの「呼吸の観察」をするだけでも、結構難しいと思います。私の場合であれば、すぐにスマホを見たくなりますし、本も読みたくなります。なんか食べたくもなりますし。むかつく人を思い浮かべたり・・・。

ここのところで、原始仏教における思想を勉強することが有効になるのではないでしょうか。

原始仏教においてはどうも、そもそも人間というのはかなり病んでいる存在であると言っている気がします。どいつもこいつも「貪欲」やら「愛欲」やらにまみれて、ろくでもないんだと、だからこそ、しっかりと気をつけて、修行していかねばならんのだと、そんな風に人間をとらえています。明らかに。

だから、自分も愚かで欲深い人間であると、まず最初に確認しておくことが大切な気がします。そうすると、いろんな邪念が浮かんできても、自然なことなんだと、慌てずにいられます。心というのものは、とにかく余計な欲とか、妄想とか、そういったものを生み出しやすく、それが世の中にはびこる苦しみや不和の原因になっているということをきちんと認識することで、修行もうまくいくのではないでしょうか。

実践と思想、両方が大切ですね。

どうも『スッタニパータ』などの仏典では、思想的な記述が多く、具体的にどのような修行をすればよいのか、ということはなかなかわかりません。

しかし、人間とはどうものであるのか、そしてどんな境地を目指して進んでいけばよいのか、ということはなんとなくイメージできる気がします。だから、スッタニパータを読み続けることは大切だと思います。

具体的な修行法が書いてある原始仏典としては、春秋社の『原始仏典 第二巻』に「おさめられている「大念処経」なんかが、かなり具体的に述べられていますが、現代人向けに読みやすいものとしては、小池龍之介さんとか、テーラワーダスマナサーラさんとかの本があります。

いろんなテキストがあるので、うまく使っていくことが重要ということですね。

と、いうことで今日はここまでにしようと思います。