Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

上座部仏教は自らの悟りだけを目指すか?

世界史の参考書とか用語集なんかには、

上座部仏教→自らの悟りを目指す

大乗仏教→自他の幸せを目指す

みたいな書き方がされることが多いです。

一般的に、上座部仏教大乗仏教との違いは、このような説明です。

実際のところは、上座部仏教徒などがよりどころにしたであろう『スッタニパータ』などには、すべての生物への幸せを祈る文章があったりしますので、上座部仏教に利他的な思想がなかったというのはあり得ないと思います。むしろ自他の幸せを願う心こそが、修行において必要な心構えだったのではないでしょうか。

ただし、大乗仏典においては、自分の悟りしか考えない僧は、「小乗」仏教徒として、かなり痛烈に批判していております。他人に関心がなく、自らの悟りを目指して修行する僧も存在していたのでしょう。もしくは仏教を学問化することが目的化していた者に対する批判なのかもしれません。

他人の幸せを願うのは「慈悲」の心です。

「慈悲」に注目したのが、中村元先生です。先生は仏教における「慈悲」の重要性を強調します。これに関しては、講談社文庫『慈悲』にてかなり詳細に論じております。

これに対し、面白いと思ったのが、中村先生の弟子だった宮元啓一先生です。

宮元先生は、「慈悲」という概念は、原始仏教ではそこまで重視されていたなかったと主張します。

原始仏教の教えをどのように解釈するか、それぞれ研究者によって違いに着目してみるのは楽しいです。

とりあえず、今日はここまで!!