Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

仏典は読むのに根気がいる じっくり向き合う必要があります。

日本は翻訳大国だときいたことがありますが、仏典の日本語訳を読めるのは、本当にありがたいことだと感じています。パーリ語サンスクリット語から読むのは不可能ですからね。

さて、原始仏教に興味がある私は、とりあえず原始仏典の第2巻(長部経典Ⅱ)を購入し、読んでいるところですが、うーーん、なかなか読みづらい。

文章自体は、易しい日本語で書かれており、哲学書のように決して難解なものではないのですが、なかなか頭にはいってこない。

理由を考えてみるに、繰り返しの文章が多いからではないかと思います。とにかく同じ言葉遣いを何度も何度も繰り返す文章が多く、読んでいて正直退屈です。そして教えの要点がわかりづらいと感じます。

中村元先生によりますと、仏典をつくっていたインド人は「繰り返すこと」を楽しんでいたようであります。現代の日本人の私からしますと、余分な文章はもう少しカットして、要点を書いてほしいなと思うところですが、繰り返すことに楽しみを見出して作成されたようでありますので、仕方がありません。

古代インド人の感覚を身に着けるには、同じパターンを繰り返す文章を読んで、ああまた同じやつだ・・・と思うのではなく、それを楽しみながら(!)読めるようにならないといけないのかもしれません。それがインド仏教を理解するコツなのかもしれません。地道に地道に、こつこつと一文ずつ読んでいく必要がありそうです。

あと、用語などもとっつきづらく、なじみがないものも多いので、学者か僧侶の方が書いた概説書なども組み合わせて読む必要があると思っています。例えば「名色」なんていう言葉は普段見ることも聞くこともないので??という感じになってしまいます。

ともあれ、地道に投げ出さずにいきたいと思っています。