Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

仏教を実践することは、空気を読んで生きることではない

『スッタニパータ』など読みますと、原始仏教の教えは平和主義で、無益な争いは排除していく方針であることがわかります。基本的には慎み深く、謙虚に暮らしていくことを是としており、とくに喧嘩をしたり、粗暴な言葉づかいをすることは厳しく戒められています。また、得るものがない議論に熱中したりして、一喜一憂したりしたりしないように、みたいなこともいわれています。

しかし、それは日常生活で自分の言いたいことを言わすに、空気を読んで周りに同調しながら生きることではありません。

幻冬舎新書の『悟らなくたって、いいじゃないか』という本があり、東大院で仏教を研究されていた魚川祐司氏と、タイで僧侶になったプラユキ・ナラテボー氏の共著なのですが、読んでみるとなかなか面白かったです。

魚川氏が「無我」という言葉が「空気を読む」という意味で解釈する間違いだと言ってました。まさにその通りだと思います。「我」という言葉をどうしても「わがまま」という意味で解釈してしまいがちですからね。

むしろ、空気を読まずに、きちんと主張・行動していくことが、大事だとプラユキ氏も言っています。仏教の修行によって、それができるようになる、ととも。

このお二人の議論を聞いていて、なるほどな~、と思いました。

仏教をしっかり修行することで、些細なことではびくともしないメンタルが作られるのではないでしょうか。

私も仕事でメンタルの強さが要求される場面が本当にたくさんあります。理不尽な思いもたくさんしました。組織の圧力に負けない、自己主張力を上げていかないといけないなと思っています。

日本人は黙って我慢が美徳と思っている人が多いですが、きちんと言わないとやっぱり伝わらないことも多いですよね。

きちんと主張していく力をつけるために、少しずつ、瞑想から初めて行こうと思います。