Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

ニートこそ人間らしい人間なのか

古代ギリシアの人の本とかを読みますと、どうも、労働というものはあまり尊いものと考えていないようです。原始仏教なんかでも、本格的に出家した僧侶は労働は禁止です。単純に労働は大変ですし、それによって煩わしさを心が感じてしまうのを避けているような感じがしますね。

現代ではニートは肩身の狭い思いをしなくてはなりません。働かずに、人に養ってもらうことは恥ずべきことだという価値観が支配的です。現実世界でも、ネットの中でも、ニートは批判される対象となっている気がします。

仮にニートの実家に、一代では使いきれないくらいの莫大な財産があったとします。ニートもその親たちも、その財産によってずっと暮らしていけるとします。

私はもしそういう人がいたら、単純にうらやましいと思って終わりですが、現代ではそれでも批判されるような気がします。なんというか、「働いてない」状態そのものが批判の対象になっている気がするんですよね。

しかしながら、古代ギリシアなどでは、あくせく働くことは、奴隷の役目でした。それよりも、のんびり思索をしたり、森羅万象に思いをはせたりする人こそ、尊いと思われていたようです。

その価値観でいくと、現代では、労働をしないニートこそ最も尊い存在といえます。

 

しかし、四六時中ネットやテレビ・ゲームに張り付いていたり、人の悪口書き込みまくっていたりするのは、あまり健全ではないような気がします。どうせ仕事しないなら、なんか自然に触れたり、読書をしたり、筋トレしたり、瞑想したりするといいんじゃないのかなと思います。そして、自分にこれから何が向いているのか、何がしたいのかをよくよく吟味してみるとよいのかもしれません。

無職のときって、働いている人にはできない、いろんなことができますよね。人生を大きく充実させることができそうです。仕事始めると、疲れちゃうし、時間もないし、そうしたことに取り組むことが難しくなってきますよね。ぜひぜひ、内面を豊かにしてほしいですよね。

なんか眠いので、今日はここまで!!!