頭陀行について
釈尊の悟りに苦行が関係しているのではないかと考えていました。そこで、頭陀行というキーワードに着目しました。頭陀行とは、原始仏教における修行・生活規定について具体的に記されたものです。けっこういろいろな変遷を経ているそうですが、だいたい次のようなものです。
①捨てられたぼろ布をつづり合わせただけの、粗末な衣を着用する。
②大衣・上衣・中着衣だけを着用する。
③食は乞食のみによって得る。
④家を順にまわって乞食する。
⑤坐をいったん立ったら、再び食事をしない。
⑥食事は一杯だけ。
⑦食事は午前中一回だけ。
⑧人里離れたところに住む。
⑨大樹の下に住む。
⑩床の上や屋根の下以外のところに住む
⑪死体捨て場に住む。
⑫手に入れた座具や場で満足する。
⑬いつも坐ったままでおり、横にならない。
うーーん。これは客観的にみて、苦行といってもさしつかえないでしょう。
⑬あたりは、寝る時も座ったままって意味なら、相当身体に負担がかかると思います。
ただし、断食のように、直接的に命を危険にさらすようなものではなさそうです。また、身体に直接ものすごい刺激を与えるものでもなさそうです。
釈尊が実際に苦行に励み、悟りを得るために有効な苦行を残したものがこの頭陀行だったのではないでしょうか。
仏教流のマイルドな苦行とでもいいましょうか。釈尊とともに修行したであろう苦行者たちとはやはり違うものだったのでしょうね。
おそらく釈尊の直弟子たちはこの教えを厳格に守ることによって、厳しい修行をしてきたのでしょう。一部の人は釈尊と同じように悟りを開いたのだと考えられます。
現にジャイナ教の聖典で「ブッダ」とされた十大弟子のマハーカッサパは、頭陀行第一という称号がありました。ひたすら厳しい修行を行うストイックな人だったのでしょう。
サンガが大きくなった時期において、頭陀行がどのくらい行われていたのかはわかりません。おそらく少数の熱心な修行者のみが行っていたのではないかと思います。全員ができるような修行とはちょっと思えません。
それにしてもやたら外で生活することをすすめていますが、それが可能だったのはやはりインドの気温が高かったからでしょう。ロシアとかだったら凍死しますね。
暑かったからこそ、「出家して外で暮らす」という選択肢が現実に古代のインド人にはあったわけですね。