Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

ランナーズハイと苦行

 

ラソンやジョギングで、ランナーが苦しみながら走っているうちに、ある一点を超えると、苦しみが快感に変わって、とても気持ちよく走ることができるようになる現象を「ランナーズハイ」と言ったりします。

科学的に立証されたものなのかどうかよくわからないところがありますが、実際に経験したという人も知っております。私は長距離走るのがあまり好きではありませんでしたので、経験したことはありませんが。

脳内麻薬が関係しているとも聞きます。

そこで考えてみました。

古代インドでは苦行が盛んで、釈尊含む多くの修行僧が、苦行に励んでいたといわれています。

苦行を行っていた僧は、ランナーズハイと同じ境地を味わっていたのではないか、と。

ランナーズハイはかなり極限まで追い込まないと体感できないと聞きました。肉体にかなりの負荷をかける必要があるそうです。

苦行も肉体にかなりの負担をかけるものだと思います。

熟達した苦行層は肉体を激しく痛めつけることで、「ランナーズハイ」と同じ、いやもっと強烈な快楽を感じていたのかもしれません。

インドには現在も多くの苦行層が存在していると聞きます。痛々しい身体になっているものもいるようです。(片足で立ちまくっていたせいで足がすごく腫れている人とか)

しかし、彼らは実は苦しそうにみえて大量の快感を感じているのでは??

なんてことを想像してみました。

 

息を止めたり、断食したり、とにかくいろいろな方法で、身体を極限まで痛めつける。しかしそれで投げ出さずにひたすら耐え続けて、極限まで耐えた結果、あるとき強烈な快感に包まれる・・・。

そんな修行をしていれば、中途半端な煩悩は吹き飛んでしまうことでしょう。

余計な煩悩を払拭する手段としては、苦行は有効だったのではないでしょうか。

釈尊は、そうした脳内麻薬を分泌するような、刺激の強い苦行は採用しなかったと思います。しかし、すべての苦行を捨て去ったわけではなく、心身を清浄にするものは残していったと思います。

今日はとりあえずここまでとします。