Seneca

叡智によって、激動の世の中を生き抜こう

エピクロスの哲学と原始仏教

仕事が相変わらずつらいのですが、とりあえず読んだ本について書いていきます。

原始仏教について書いてきたのですが、原始仏典はかなり数が多く、読むのも大変です。原始仏典が直接日本語に訳されたもので読みやすいものは、春秋社から出版されている『原始仏典』シリーズがありますが、1冊1万円くらいで値段が高いうえに、たくさんの巻がありますので、揃えるのはなかなか大変です。(とりあえず1冊ほど買いましたが。)なので、とりあえず岩波文庫中村元先生が訳した『スッタニパータ』『ダンマパダ』を読んでおけば、だいたいの原始仏教の教えについてわかるのではないでしょうか。もちろん、これとてなかなかの分量があるのですが・・・。まあ焦らず進めていきたいと思います。

さて、岩波文庫より『エピクロス 教説と手紙』という本があります。題名どおり、エピクロスという古代ギリシアの哲学者の書籍の断片を集めたものですが、エピクロスの教えが、原始仏教とかなり似ているような感じがして、衝撃を受けます。(前半は太陽やら月やら風やら原始やらで、主に自然の事象について解説が主なので、読みづらかったです。なので、後半の人生論的な部分だけ読んでいます。)読めば読むほど、あれ、この人原始仏教の人??ってくらい似ていまして、なかなか興味深いなあと感じます。

エピクロスは紀元前350年代のギリシアの哲学者で、情勢が不安定なヘレニズム期で活躍しました。彼の教えはエピクロス派として弟子たちに受け継がれ、思想面で後世に大きな影響を与えたようです。

彼の哲学は、「快楽主義」と呼ばれます。後になってから贅沢三昧を尽くす人々を

「エピキュリアン」と呼んだそうですが、これの由来はもちろんエピクロスから来ています。

彼の教えは快楽主義でまったく間違いないのですが、贅沢三昧・酒池肉林を求める教えではなく、実は全く逆の禁欲主義的な快楽主義でした。

どゆこと?って感じなんですが、要するに、贅沢をするのではなく、質素な生活の中で満足して生きるということです。質素な食事でも、空腹を満たす時点で快楽を感じており、実は贅沢をしても快楽の度合いが上がるものではない。むしろ欲を求めれば求めるほど、煩わしいことが増えるので、シンプルにすっきり生きたほうが良い、というスタンスです。

ちなみに性愛にも否定的です。煩わしいことが多いからでしょうかね。

逆に言うと快楽は簡単に満たすことができるということでもあります。とりあえず寒い思いをしたり、空腹になったりしない日常ならば、幸福になるのはたやすい。日常生活に感謝して、つつましく生きることで、善い人生を送ることができるということですね。

 

不必要な欲を求めない、という点が原始仏教と一緒です。

やはり人間にとっては余分な欲を断つことが、幸福への道なのでしょうか??

禁欲的な生活をすると確か心身共に清浄になる気がしますね。ジャンクフードを食べななかったり、質素な食事だけで過ごしたり、ネット断ちをしたり、夜更かしをやめたりすると、すっきりした心になると思います。なかなか難しいのですが。

エピクロスは世俗から離れて、弟子たちと共同生活を送っていたようです。原始仏教教団のように、出家している状態と近いのではないでしょうか。同じ志を持つ人々がいるからこそ、禁欲主義的な生活を送ることができたのでしょう。

ある仏教学者が書いていましたが、本格的に断食修行をすると心身清浄このうえないそうで、性欲などは確かに消えるそうです。まあ断食などは在家の人にとってはそうそうマネできるものではないですね。

在家の人間にとって禁欲的な生活をするのは、なかなか難しいですが、出家のような生活も、一度は体験してみたいと思います。

今日はここまでにしようと思います。なかなか仕事が憂鬱です。